「特集陳列 蘭亭序」 於東京国立博物館&書道博物館

2008年4月 8日 kodo | | コメント(0) | トラックバック(0)

東京国立博物館と書道博物館の同時開催です。
あと一月弱です。
これだけの蘭亭序を一度に拝めるなんてことは滅多にありません。
必見の展示です。

東京国立博物館
東洋館第8室 2008年3月4日(火) ~ 2008年5月6日(火)

台東区立書道博物館
2008年3月1日(土) ~ 2008年5月6日(火)

幸いなことに期間中の展示変えはないようです。

cf. 真蹟と法帖

万葉集 巻十一・二三八二

2008年3月14日 kodo | | コメント(0) | トラックバック(0)

うち日さす宮道を人は満ち行けどわが思ふ君はただ一人のみ

打日刺 宮道人 雖満行 吾念公 正一人


墨について(3) - 墨の保存法

2008年3月14日 kodo | | コメント(0) | トラックバック(0)

三、墨の保存法
墨は室内に於て放置するときには、平均五%の水分を含有するという。
墨は湿気を大変嫌う。多量の水分を吸収して湿気を帯びると、表面に黴が生えて膠質が変敗し墨色を損する。伸び、光沢、膠力共に減退してしまう。膠の劣化を防ぐためにも、常に乾燥状態に維持することが大切であり、桐箱に入れて保存するのも、できるかぎり吸湿を防ぐ為にほかならない。
墨は乾燥するのが良いといっても、日光の直射に曝してはならない。火気に当てる事もよくない。膠質を変じ、崩潰する事があるからである。乾燥も一定度を越えると、亀裂を生じ遂には挫折するに至る。殊に乾湿の変化が急激な場合は一層著しく、保存の佳くない古墨に多数の亀裂を見るのは此の為である。
中国製の墨はいずれも甚だ割れ易いようである。膠の粘着力が弱いためであるらしい。墨を摺った後、箱に入れて大切に保存しておいても、いつの間にか割れているということもある。取り扱いには十分に留意する必要がある。
以上、墨の性質とその取扱に就いて記述した。

平成四年九月二十九日。

(日本大学書道研究会発行『書心』第27号)

墨について(2) - 墨の摺り方

2008年3月14日 kodo | | コメント(0) | トラックバック(0)

二、墨の摺り方
まず硯に少しだけ水を垂らす。実際に墨を塗らすのは、一ミリ位だと心得ること。充分に濃くなったら、はじめて墨池に墨を移し、これを繰り返す。硯に一度に水を入れて、墨池から水を戻しながら摺ってはならない。淡墨が欲しい場合にはこの濃墨に更に水を足してお望みの濃さとする。初めから薄く粗に摺ったものでは、本当の淡墨の持味が出ない。
墨は無我の境地にて静かに摺るのが理想であるとされている。力を加えて押し付けたり、速く摺ったりしてはならない。力を加えると粗く下り、すぐに死んだ粒子ができてしまう。従ってうまく発墨もしない。墨を軽く支えている気持ちで、墨の重さを利用して、静かに摺るのがこつである。十歳位の少女に摺ってもらうと良く発墨するという。力加減と手の柔らかさと童心が、粒子を均一に分散させるからである。
墨は摺った後必ず拭いておくこと。そのまま放置すれば膠が変質してしまうばかりでなく、墨に沢山の亀裂が出来るので脆くなる。従って、この墨の墨汁の中には死んだ粒子が沢山生成する。夏季の湿気の多い時は磨り口が膨れ易く、冬はひび割れて硯中に墨屑が落ちる様になる。墨の取り扱いは十分に注意すべきである。
墨汁の乾いたもののことを滞墨という。硯で墨を摺って字を書いていると、知らぬ間に硯の墨汁が乾いてしまうことがある。これを再び水で溶いて使っても、墨の粒子が完全に死んでしまうため、生きた作品は得られない。滞墨の粒子は紙や布の表面を蔽い、深みのない不安定な墨色を表し、作品は生気を感じさせないものとなってしまう。この点は、どんなに良い墨でも同じことである。墨汁が乾かぬように厳に注意しなければならない。硯池に十分に墨汁を用意しておけば、乾く心配はない。


「墨について(3)」に続く。

墨について(1) - 墨とは何か

2008年3月14日 kodo | | コメント(0) | トラックバック(0)

一.墨とは何か
墨は炭素と膠を合わせたものである。墨は煤煙と呼ばれる炭素の粉末を、膠の溶液で練り、一定の形としたものである。煤煙は顔料の一種で、水には溶けない。ただし、膠が水に溶けるので、煤煙の粒子は膠に包まれた状態で安定に分散する。
墨の目的は、紙・布・木材等に、文字や絵画などを、黒い色で鮮明に永い間消えぬ様に塗るつけることであるが、その場合、膠は、①「炭素を布や紙の繊維に接着させること」と、②「墨液を平均させてむらなくする役」を果たす。墨液の中では、炭素の微粒が膠の被膜に包まれて無数に浮遊している状態となっている。
墨(煤煙、炭素)の粒子は球状をしている。墨汁を顕微鏡で見ると、高度に分散している微粒子は、いつでも活発に不規則の運動(ブラウン運動)をしている。これが活性カーボン、生きた粒子である。この様な粒子を多く含むほど墨は生きているという。大きい凝集状態をしている粒子は、ほとんど運動せずに沈みやすい。これが不活性カーボン、死んだ粒子である。
死んだ粒子、大きい凝集をしている粒子は如何なる時に生じるかというと、①墨の膠が老劣化して、墨の粒子を包んで安定したコロイド状態を維持する作用が少ない場合(いわゆる古墨)と、②墨の摺り方が粗雑だったり、鋒鋩の不規則で粗い硯を用いた場合、③宿墨や滞墨をした場合、の三つが考えられる。
にじみは、画箋紙の場合墨の種類の如何にかかわらず、筆に墨の量を多く含ませると起こるのであるが、古い墨の場合は、筆の跡とにじみの色の濃淡の諧調がはっきりして、にじみの末端がぼかしたように薄くなる。これは膠が年をとっているので、繊維の中に炭素を滑りよく誘導する力が弱く、筆の通った跡の部分から非常に微細な炭素しか外へ運んで行けないからである。従って新しい墨ほどその諧調の差が少なく、筆の跡とにじみの色の濃さが同じであり、その末端がギザギザとなって止まる。
墨は紙に対して横ににじむだけではなく、縦へ紙の内部にも浸透する。
墨色の優劣は墨の粒子が紙や布の表層より内層に向かって、どの程度まで浸透し、微細構造組織のどの部分まで浸透するかによって決定される。できるかぎり組織の深部にまで浸透する墨が、墨色に深みがあり、冴えて見える。墨の粒子が均一に分散していて、その大きさが小さければ小さいほど、このような性質を表す。
といって、余りに拡散が早過ぎる時には、「にじみ」の先端は不規則な凸凹の形状になる。「にじみ」の先端が名状し難い滑らかな曲線をなすのでなければ、芸術的な作品を書くことは出来ぬであろうが、この様な「にじみ」を生ずるのは、膠の適度な力によるものであって、膠の力が弱過ぎる墨では微細な粒子さえ運ぶことが出来ぬため滑らかな曲線状をなす「にじみ」は得られず、墨の粒子が大きい場合にもまた同様である。大きい墨の粒子は拡散する速さが緩慢になるのは当然であって、そのために、筆跡を明瞭にする効果を表すが、すべて大きな粒子であったら「にじみ」を絶妙なものにする作用は表し得ない。
普通墨の生命は三、四百年といわれている。墨にも寿命がある。植村和堂の「文房具辞典」によると、膠の寿命は百年位で、二、三十年から七、八十年位の間が最も使いよい、という。寿命の程は、膠の質や墨の保存状態等により可成異なる事と思うので何とも云えぬが、膠の力がかなり枯れて弱まっていながら、それでもまだ充分に力が残っている位が工合良いらしい。
古墨は筆跡を明瞭にするが、粒子が紙の表層にとどまりやすく、新しい墨は紙の内部にも浸透しやすいが、その代わり筆跡は潰れ、にじみは凸凹となってしまう。
そこで古墨を使った場合には、紙も古い枯れたものを使う必要がある。紙は枯れると繊維が老化し弱まってくるので、墨を表層にとどめず、内部にまで浸透させるからである。古墨の弱点を補うことができ、古墨を生かすことができる。新しい紙に古墨を使う事程もったいないことはない。
墨が非常に湿気に弱いのは、含まれている膠が水分を含むと直ちに腐敗をおこすという性質による。これは膠が有機質のためで、特に湿気に浸されなくとも、年数が経つと生物のように次第に年をとって、脆くなる。膠は蛋白質がゼラチン状に固形したものである。それゆえ墨を摺って宿墨すると、腐敗し臭いがおこり、磨り口も少し悪臭がする。宿墨とは摺ってから一晩経た墨の事であるが、摺った墨は膠が腐敗し易い為、粒子は殆ど死んだ状態となってしまう。従って生きた作品は書けない事となる。これは古墨の状態とは明らかに異なる。古い墨は膠が腐っている訳ではない。膠の力が弱まっているだけである。しかし、大きな粒子が多い点では同じなので、墨色はともかくその現れる現象面は大変似ていると云える。
墨の良否は、固いとか軽いとか、早く濃くなるとかいう事で決定されるのではなく、発墨の如何による。発墨は次の諸項が備わっていなければならない。即ち、①墨質の良、②硯石の佳、③磨法の適、④硯水の清。次に、磨法、即ち墨の摺り方に就いて取り上げる。


「墨について(2)」に続く。