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司馬景和妻墓誌銘(しばけいかさいぼしめい)
2005年1月 4日 kodo | 個別ページ | コメント(1) | トラックバック(0)
司馬景和妻孟氏墓誌銘ともいわれます。
北魏の延昌3年(514年)の刻。
司馬昞(景和)の妻の墓誌銘という意味です。
景和の妻は、孟氏といい、字(あざな)は敬訓といいました。
清の乾隆20年(1755年)に、河南孟県で出土しました。
同時に出土した、
夫の司馬昞[シバヘイ](景和[ケイカ])
夫の父の司馬紹[シバショウ](元興[ゲンコウ])
夫の族人の司馬昇[シバショウ](進宗[シンソウ])
の3墓誌とともに出土したため、
あわせて「四司馬墓誌[シシバボシ]」とよばれています。
私はずっと、
「シバケイ、ワサイボシメイ」
と読んでいましたが、
区切るところと、訓みがまちがっていました。
意味からいうと、
「シバ・ケイカ・サイ、ボシメイ」
と読むのが正しいようです。
これは北魏の墓誌銘ではありますが、
なぜか東晋の書法を考える一資料といわれています。
同時に出土した、夫の「司馬景和墓誌」は
この「司馬景和妻墓誌」と同筆とみられていますが、
この「司馬景和墓誌」について、
馮敏昌は、
元常(鐘繇)の幽深を得、二王の瀟灑(しょうしゃ)あり
と評しているそうです。
東晋の王族には北魏に亡命した人がいました。
その子孫とその妻の墓誌が、四司馬墓誌だということです。
なので、北魏の書=北方異民族の書、
というイメージとはややことなるということなのでしょう。
それにしても、「元常の幽深を得、二王の瀟灑あり」とは。
この墓誌銘を書いていても
私にはまだ、鐘繇や二王とはまだまだ重なってはきません。
それでもときどきはひっぱりだして書いています。
みているだけでもたのしいものです。
西川寧氏もこんなことを書いています。
六朝の墓誌は小品藝術として実に愛すべき存在である。最も有名なものだけをとっても、容易に二十幾つを挙げることが出来ようが、その何れもが、夫々特異な面貌を持っていて、応接する毎に色々の物語をささやき出す。中にも司馬景和妻孟敬訓墓誌銘は私の最も愛するものの一である。(西川寧著作集1)
ちなみに、隋代になると、
美人董氏墓誌銘(597年)や、蘇孝慈墓誌銘(603年)などの名品がでます。
墓誌銘というと、こちらを想像される方も多いのではないでしょうか。
北魏の墓誌銘とはずいぶんと雰囲気がことなり、とても端整な書です。
なのでこれらの墓誌銘は、
次代唐代の欧陽詢や虞世南の先駆けをなすといわれています。
私は欧虞よりは、これらの墓誌銘のほうがずっと好きです。
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コメント(1)
九喜 :
司馬景和墓志向见铁云藏本,勾魂摄魄,不让张玄志。敝藏仅得冯敏昌摹本,然数十年来,冯本已不多见。
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