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昭仁寺碑

2005年1月24日 kodo | | コメント(3) | トラックバック(0)

tianpianさんが、菘翁臨書帖二種を紹介されていらっしゃいます。
ありがとうございます。
そこに、菘翁の臨書した昭仁寺碑があります。

書道博物館に昭仁寺碑の拓本があるようなので、
そのうち観にいってみようとおもいます。
書道博物館のWebページに、こんな紹介がありました。

昭仁寺碑(旧拓) 唐・貞観4年(630)
昭仁寺は、唐太宗の命によって、唐王朝建国のための戦いで戦死した兵士を供養するために中国各地に建てられた寺の一つで、この碑には昭仁寺建立の経緯が刻されている。
三千字余りの碑文は朱子奢の作だが、書者は不明。古来多くの説が出ているが、中村不折は虞世南・孔子廟堂碑に似た書風であることから、虞世南の書とする説を支持している。

唐の太宗は、建国の際に戦禍をうけた地にそれぞれ一寺を建立しました。
そして義勇の戦没者の供養のために、
虞世南や顔師古(顔真卿の祖先)に碑銘をつくらせたそうなのです。
昭仁寺碑や等慈寺碑はその一つです。

昭仁寺碑はふるくから虞世南の書とする説が多いのですが、
楊守敬は「その格度気韻は世南に遠く及ばない」と評しているそうですし、
王澍も、虞世南の書ではなく、虞世南をよく学んだ人の手になるものであろうとしているようです。

以下は『書道全集 7』(二玄社)

筆者は宋以来、一般に虞世南と信ぜられ、あるいは欧陽通、王知敬に比定する説も行われた。しかし後の両者は年代的にややおくれ、虞世南は貞観四年にはすでに七十三歳であったから、果してこの大作に耐ええたかどうか疑問である。もちろん波法においてはいくらか似通ったところもあるが、風格や気韻においてはとうてい虞世南の敵ではなく、また用筆のかたすぎる点においてもその変化百出たるには及ばないと評される。(日比野丈夫)

追記:

tianpianさんは、

ページを繰っていくと、虞世南とされてきたものらしいですが、tianpianの第一印象では孟法師碑のイメージです。
と書かれています。こういう率直な第一印象はとてもたいせつです。
それから、tianpianさんから紹介していただいた
京都大学人文科学研究所所蔵石刻拓本資料の昭仁寺碑のページは、
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/imgsrv/takuhon/type_b/html/tou0011x.html

プラグインは、LizardTech, Inc.より入手してください。
こういったすばらしいものを公開してくださっている京都大学人文科学研究所に敬意を表します。

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コメント(3)

tinapian :

菘翁臨書帖二種を紹介いただきありがとうございます。
京都大学人文科学研究所所蔵石刻拓本資料のページに、
昭仁寺碑をはじめ拓本資料が年代順に整理されて紹介されています。すべて全套拓の形です。画像を見るにはDjVu ブラウザプラグインをインストールする必要があります(リンクが用意されています)。
URLです。
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/imgsrv/takuhon/index.html

kodo :

tianpianさん、すばらしいです。
全体像から細部まで。
すごいです。
はじめて拝見するものがたくさんあります。
法帖の形でしかみたことがないものもあります。
わくわくしながらひらいています。
うれしいです。
ご紹介いただきほんとうにありがとうございます。

九喜 :

唐时尚法,长安诸陵碑刻,多出名手,又以规穆为其大宗。虞伯施,王行满,王知敬等皆是。鞠裳老人谓吴通微名非其实,实则误矣。通微书法,直抵逸少,较苏灵芝尚多古韵。

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