余裕
2005年1月24日 kodo | 個別ページ | コメント(5) | トラックバック(0)
書を書き終えた時に疲れていたらその書は良くないというxiyueさんの先生のことば、なるほどとおもいます。 私もそうおもいます。
私の場合は、作品を書こうというと、つい殺気立ち気負ってしまうので、
疲れたあと、一服して書いた書のほうが、おちついていてよい場合があります。
欲がでるとだめですね。
背伸びをすると、作品が余裕がないものになります。
いま持っている力で、あり余るくらいのあるものを、
こころをこめて書きた作品が、
大家のような生きた作品となるのでしょう。
大きな紙に行書(?)を書いていたそうだけど、中国人の先生から見たら前衛書にしか見えなかったとか。
大いにありうるようにおもいます。
笑うに笑えなかったりします。
どうしてそうなってしまったのでしょう。
日本人的な現象なのかもしれません。
なにをまなんでいるのかわからないような作品が多いのです。
古典のまなびかたからして、「形」を重視していないように感じます。
意は形によってあらわれるものです。
武道にも型はあります。
やはり「道」のひとつであって、
書法をまなんでいるという意識が低いのでしょうか。
そういえば、正座して書くことが最近少なくなりました。
教室でも椅子にすわっています。
食事のときも椅子なのです。
やはり落ち着かなくて、
椅子の上にあぐらをかいたりしてしまいます。
息子も椅子に正座してしまって、妻におこられたりしています(^^;
座敷がやっぱりおちつきますね。
p.s.
ところで、xiyueさんのブログ「遊於藝」(http://xiyue.exblog.jp)ですが、
エキサイトにログインしないとコメントがみれないし、コメントできないようです。
ぜひコメントしたい!とおもうことがなんどかありました。
設定を変えていただけるとうれしくおもいます。m(_ _)m
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コメント(5)
xiyue :
はじめまして、xiyueです。
私のページへお立ち寄りくださり、ありがとうございました。
一応の弁解として、先生は日本の前衛書の資料もいくつか持っており、決して否定している訳ではないのです。
資料を見ながら、
「見てなさい、試しにこの前衛書を再現してみよう。
はじめは軽く徐々に重くetc・・・、一つの作品にいろいろな要素が含まれている。
これらは書法の基本が出来ているなら(←強調)誰でも書けるはず。
後は絵的な感覚、好き嫌いは観る側の自由。
これはこれで一つの書。」
と説明してくださいました。
若い(といっても25歳くらいだったとか)その日本人のお父様は書道家だそうですが、彼にどう教えて来たのかも興味深いところです。
xiyue家では純和風の床生活だったため、少々痛くてもいつも正座してないと落ち着かないです。
私ってやっぱり日本人。
コメントの件ですが、最初は設定しなければならないなんて知らなかったのです。
そして、最近は韓国の友人のプログとリンクを張ってみたのですが、用心深くもう少し様子をみたいな、と思っていたところです。(韓国では第二外国語で日本語を勉強するため、意外に日本語がわかる人が多いのです。反日も反中もいるかもって考え過ぎ?)
書き込めないけど、見る事は出来ると思っていたのですが・・・知りませんでした。
せっかく来てくださったのにすみません。
面倒が起きたらまた設定変えれば良いだけですよね(笑)
という事で一度設定変えてみます。
そしてこちらのページともリンクさせてください。
長くなりました、これからもよろしくお願いします。
kodo :
xiyueさん、ありがとうございます。
前衛書に対する先生のご意見、同感です。
ほんとうにすばらしい先生ですね。
先生のおことば、こころに留めておきます。
器用な書は山が低いのではないかとおもうことがあります。
技術ではないところで勝負するしかなくなってしまいます。
けれどもそれは、管を以って天を窺うようなもので、
じつは書法の山はとてつもなく遠いところにあって、
頂上さえもみえてはいないのです。
むずかしいです。
「遊於藝」の設定、修正していただいてありがとうございますm(_ _)m
他の方のたくさんのコメントもみることができました。
私は審陽・錦州・北京と、北のほうしか行ったことがなく、
xiyueさんの記事はとてもたのしく拝見させていただいています。
これからもよろしくお願いします。
澄翔 :
余裕
大切ですね。
確かにちょっと気持ちにゆとりがあるときに書いたものは、のびのびと素直にかけます。
でも、私は書を書き終わった後はいつもグッタリです・・・。
xiyueさんのブログにコメントできるようになったのですね!
お気に入りに追加したものの、コメントできなくて困っていました(^^;))
KODOさんは中国に行ったことがあるのですね!
私も3月に行くので楽しみです☆
kodo :
澄翔さん、こんにちは。
さっそくxiyueさんのページにカキコですね。
その積極性が澄翔さんの魅力です。
3月の中国は楽しみですね。
xiyueさんの記事を読んでいたら、中国語を勉強したくなりました。
その国の文化に触れるには、やはり言葉はだいじだとおもいます。
中国人どうしの会話は、はたから見ると喧嘩のようなので不思議です。
(・ε・) :
はじめまして、鐘ようなどの調べ物をしていたらたどり着きました。ちょっと息抜きに立ち寄ってしまいすみません。
>大きな紙に行書(?)を書いていたそうだけど、中国人の先生から見たら前衛書にしか見えなかったとか
わたしも人のこと言えないのですが、歴史に基づいて、どのように字が変化したかを学んでない人が多いため、地に足がついてない作品になるのだと思います。
でも、わたしは歴史のことを勉強するのが苦手なので、書くのは好きだけど、本を読むのは苦労しています。
正座については、わたしはあまり気にしていません。中国はかなり昔から椅子が伝わっているので、椅子に座って書くのは普通みたいです。(だから手首を立てて筆を持つらしいです。)
では、調べ物に戻ります。また拝見いたします。
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