無
2005年1月 2日 kodo | 個別ページ | コメント(2) | トラックバック(0)
無は、雨請いをするために巫女が呪飾をつけた衣の両袖をひるがえして舞う人の姿。説文解字という文字学の古典には無を「豊なり」とし、林に従う字とあるそうだが、篆字の誤った字形による解釈らしい。
無が「なし」という意に使われるようになったのは音の仮借である。のちに無がもっぱら有無の無、否定のことばとして用いるようになったため、舞うときの足のかたち「舛(左右の足が外に向かって開くかたち)」を加えて舞という字ができた。無が雨乞いの祭りの踊りからきていることから、舞は、鼓舞というように「はげます」の意にも用いられる。
現代の舞は楽しいイメージがあるが、雨乞いを神に祈る舞である。雨乞いが失敗すると牲にされる。
白川先生の遊字論に、
神隠るというように、神は常には隠れたるものである。それは尋ねることによって、はじめて所在の知られるものであった。神を尋ね求めることを、「左右してこれを求む」という。とある。尋は、左右の字を縦に重ねた形をしている。左という字は左手に工の形をした呪具をもつ形で、この呪具は神が隠れたり神を尋ねたりするときに必要なものである。右という字は右手に祝詞を入れた器である口(サイ)を持つ形である。左右、すなわち尋とは、神を尋ねる行為であった。そして神を尋ね求める行為として、舞が必要だったのだ。
今の中国の簡略字では無の代わりに「无」を用いている。无(ム、ない、なし)は、亡の異体字。
亡は手足を折り曲げている死者の骨の形。「死ぬ」、「逃げる」、「滅びる」の意味に用いている。亡に毛が生えて草むらに放置してあると「荒」となる。亡の「なし」の意は無と同様、その音を借りる仮借。
仮借ということは、「もとその字なし」で、その字を形象化しがたいので、音などを借りてあらわしたものということ。
無の概念はどこからきたのだろう。
参考文献:「常用字解」、「文字逍遥」(いずれも白川静著)
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コメント(2)
sumi-moji :
kodoさん、解説をありがとうございました。
もしかしたら、「神輿」という意味もあるかもしれないと思っておりました。"神隠る…"というところから、「神輿」の話がでたのかもしれませんね。
<字統>を何度も読み返して、やっと理解できる程度の知識しか持ち合わせていないのが、残念です。繋がっているいる糸を少しずつ解いていく楽しさを、こちらで教えていただきました!
kodo :
輿は「車+手が4つ」ですから、神輿の神気たっぷりです。
「輿」という字は、輿論(よろん)のヨです。大衆をあらわすわけです。世論と字を当てた人は「せろん」ではなく「よろん」と読んで欲しかったのでしょう。
でも「無」字が神輿という発想はじつにおもしろいですね。いつごろの発想でしょう。字をみていると、そんなふうに見えてきますね。日本に甲骨文や金文が入ってこなかった? 人が手に飾りを下げている甲骨文は神輿にはみえません。「無」は祭祀ですから、意味的には無縁ではないというのが「神妙」ですね。
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