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自分の目で真剣にもの(ほんもの)をみるということ

2005年2月 6日 kodo | | コメント(1) | トラックバック(0)

xiyueさんの、20年間ずっとともにに、とてもすてきな話がありました。

「本物を十分堪能しなさい」

「本物見た直後に何故偽物(葉書等)買うの?」

これを読まれたtianpianさんは、鳴鶴先生の話(柴田墨城) で、

「本物を見るということ、そして本物の見方のようなものを感じました。」
とおっしゃっていますが、私も同感です。
そのtianpianさんのページには、日下部鳴鶴先生の話が載っています。
矢張努力して写した方が余程修養になつたと今更思うて居る。其物が手元にあるとなかなか写す気持にならぬ。借りて居ると早く返さねばならぬと懸命に勉強するから非常な薬になる。
一期一会なのですね。
そのときになんとしてでも、という覚悟がないといけないということです。
古人は、法帖の一行でもあれば開眼したそうです。

私なども、つい図録を買ってしまいます。

展覧会の展示会場には、わきに解説がかならず付いていますが、
それらを読んでいると、つい、分かった気になってしまい、
だいじなものを見のがしてしまうような気がするのです。
なので展示会場ではそれらを読むことはできるだけ控えるようにしています。

先入観なしに、本物をみたい。
すこしでもじっくりと、本物をみたい。
そのときの印象をだいじにしたい。

そういう意味では、事前の学習もいらないようですが、
やはり背景などの知識は最低限ないと、
その「もの」をみる見方も浅いものになりがちです。

解説などは、図録を買えば、あとで読めます。
でも、たしかに図録をあとで読み返すことはすくないのです。
買ったことで安心してしまうのですね。
日下部先生のおっしゃったことはまさにずぼしでした。

自分のほんとうにこころを打つ本物をしっかりと「みる」こと。
その大切さを、この二つの記事はあらためて教えてくれました。

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コメント(1)

xiyue :

お礼が遅くなりました。
たびたびのトラックバックありがとうございます。
この話は今でもすごいなぁと思わせる事です。
母はたまに絵はがきを買う事が有ったのですが、それは友人に送る為のものであって自分の手元には残さない主義でした。
心に残っているからそれでいいって。
未熟な私は心に残す為に美術館に行く時は時間をかけて一日がかりで鑑賞。
当然お昼抜きです。

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