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書作展に顔写真

2005年2月15日 kodo | | コメント(1) | トラックバック(0)

九州・山口・沖縄代表書作家展の会場風景を
sumi-mojiさんが公開されていらっしゃいました。

その写真を拝見したところ、ひとりあたり作品が2点ほどあり、
作品の右に、作者の顔写真があるのがわかります。

写真のしたには、作者の紹介、作品のよこには作品の釈文らしき解説がついています。
会を主催されている諸先生方の展示のようですから、
どの会がどのような書を書かれるのかがわかりますし、
作品もバラエティに富んでいることでしょう。

書は人なりといいます。
書画は作品がすべてです。
作品をゆっくり楽しむというものではないのかもしれませんが、
それにしても
写真やコメントがあるのとないのとでは、情報量に雲泥の差があります。

書作展というと、
作品だけをならべてあるものを想像してしまいます。
しらなかったのは私だけかもしれませんが、
さまざまな視点でものをみることの大切さを痛感しました。

代表作家展という性格上、作品の鑑賞だけが目的ではありません。
その先生を知る、その先生の現在の目指している作風を知る、
ということも目的のひとつになります。

書をなさらないかたがご覧になられても、これなら納得しやすいのではないでしょうか。

秋華洞さんの日本美術そうだったのか通信「妻よ、違うのだ」に、

人はその人の物語を含めて作品を買うのである。
その絵はその絵だけで成り立つのでなく、その人の遺した作品や生き方の軌跡のなかで浮かび上がる一作品なのである。
とあります。
書だけを鑑賞しているわけではないのです。
「ひと」がうかびあがってくれば、その作品が身近になります。
感動した作品をつくったひとをしりたいというのは人情です。
心酔するひとの作品を観たい、というのも同じことでしょう。
もっとも、書家の書に「物語」をもとめるのはむずかしそうですけれども。

ちなみに秋華洞さんは

本当は、その線を選ぶ理由、その筆致を選ぶ理由、の厳しさ、あるいはその作者なりの気迫のようなものがこもっていない限り、感動はないのではないか。と、思います。
ともおっしゃっています。

書籍で、やはり顔写真と作者の略歴とコメントつきのものをみたことがありましたが、
実物でそれを実現しているのをみるのははじめてでした。

親しみをもってその作品を観ることができそうな気がします。
その先生の作品をさらにゆっくり見たいと思えたらすばらしいことです。

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コメント(1)

sumi-moji :

コメントとトラックバックをありがとうございました。
こちらでも、新聞社が主催の書展ではどんなに有名な先生方でも写真や解説はつきません。解説は、書をやっている者でさえわからないものを(本当はあるまじき事かもしれませんが)、全く日頃接点のない方にわかるはずもなく、書展から足が遠のく原因にもなるのでしょう。
個人的にいうと、大好きな線を書かれる先生のお顔がわかるだけでもうれしいものです。
深く捉えてくださって、ありがとうございます。

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