明
2005年2月16日 kodo | 個別ページ | コメント(5) | トラックバック(0)
明という字は、冏(囧)に月です。
なので、本来は眀(目+月)と書くのが正しいといえるでしょう。
漢隷や魏碑、羲之の行書をみても、眀と書いていますし、
時代が下って
初唐の楷書である虞世南や欧陽詢、褚遂良の楷書を見ても、
眀と書いています。
目+月とかきますが、左側は、目鼻口の目ではありません。
いつごろから日+月とかくようになったのでしょう。
ちょっと調べてみたいものです。
日月明なり、などといいますが、この場合の日は太陽のことでしょう。
明の字のなりたちは、太陽と月ではなく、
月光、月のあかりをさしています。
左側は、日ではなく冏(囧)です。
つまり、窓です。
窓に月光のさしこむところをあらわしています。
古い時代の中国北部の黄土地帯では半地下式の住居が多く、竪穴を中心に作られた部屋の窓は一つであり、そこから入る窓明かりを神の訪れとみたてて窓のところに神を祀った。それで神のことを神明という。と白川静氏の常用字解にはあります。
明は、窓から月明かりが入りこむことをいい、その窓のところに神を祀ったのです。
神の前で血をすすって誓うことを盟といいます。
皿のうえに点があるものは、血です。
牛や羊の犠牲(いけにえ)の血は、神への供え物でしたし、
祭りにつかう祭器などがつくられたときには
さいごに血をぬって清めることをしたそうです。
盟のばあいは、皿ではなく、血になります。
だから血盟になるのです。
追記:
xiyueさんよりおしえていただきました。
「明」には補足が有って、中国では意味自体が変化しているのです。とのことでした。
昔は「月亮・yue4liang4(月球)」の「亮・liang4(明るい・光る)」で月をそして光を指していたのですが、
後に光のみの「照・zhao4(光を照らす)」の方を指すようになったので「日」になったそうです。
ただの省略ではないそうです。
ありがとうございます。
「明」と書いている古例もないこともないようです。
五体字類をみると、ぐたいてきな碑名はわかりませんが、
六朝碑に、辺と旁が逆の、「月+日」と書いている例がありました。
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コメント(5)
xiyue :
たびたび失礼します。先ほど新しい事を聞いたので書き込ませていただきます。
実は今朝方の私の書き込みは先生から教わった事です。
以前大学側に掲示板に張り出す書の提出を求められて王維の詩を隷書で書いたのですが、「明」の字は目+月で書いたところ他の留学生に間違い文字を書いているなんて言われて説明出来ず先生に聞いたらこの答え。
先生曰く、目+月は「亮」の意味。日+月は「照」の意味。それぞれ意味の違う漢字だけどどちらで書いても良い、との事。
機会が有り、さきほど先生の友人で書を書き篆刻家でもあるの男性に同じ事を質問したら、彼曰く中国史の秦の前は七國に分かれており、國によって少しずつ漢字も違っていたとの事。
太陽の日+月で表す國。目+月で表す國。(←これもいろいろ説があるそうで目に反射する月明かりの意で目も有るとか)
文字を統一する時に皇帝が選んだのが目+月だっただけの事。
どちらで書いても全く問題なし。目にする篆書に太陽の日+月も有るだろうと。
でも、先生の説明と全然違うんですけど・・・?と言ってみたところ、
「人それぞれ言う事は違う。いろいろな見方が有る、でもどちらも正しいんだ。」
と、それを言ったら結局何が正しいか分からなくなるでしょう、という締めでした。
すっかり騒ぎを起こしてしまって申し訳なかったです。
軽々しく発言するものではないと反省しております。
結局どれが正しいかは分かりませんが、あくまでも中国の書法家の方々の一意見として参考にしていただけたら、と思っております。
sumi-moji :
kodoさん、xiyueさん、今日も1つ勉強させていただきました。この字は身近なので、お教室で是非皆さんにも紹介しようと思っております。私は、諸説あるのは当然だと思っているので、xiyueさんのコメントとてもおもしろく拝見しました。
kodo :
xiyueさん、sumi-mojiさん、いろいろありがとうございます。
「人それぞれ言う事は違う。いろいろな見方が有る、でもどちらも正しいんだ。」
とは至言ですね。
文字学はじつにいろいろな解釈があります。
どちらも正しいといい切るところに大陸を感じます(笑)。
たしかに文字統一まではいろいろあったにちがいありません。
「春秋末期の孔子をはじめ、諸子百家といわれる多数の思想家が、諸国を遍歴して自説を説き、問答を行って、思想の交流をはかったのも、ただ単に口頭の説述のみではなく、筆記体の共通文字が存在したことを前提にしなければ、説明ができないことである。こうした共通の字体ができあがっていたことを基盤にして、秦による文字の統一が可能になるのである」
と、「古代中国」(貝塚茂樹、伊藤道治)にあります。
甲骨文に貞人による時代区分があることはわかっていますが、
地域差のことが話題になることはあまりないですよね。
書体字典に日、すなわち丸に点とかかれているのは、
説文古文と甲骨文のひとつだけ、あとはみな窓のようです。
朝陽字鑑をみても丸に点としているものがあります。
丸に点だからといって、日とはかぎりませんけれど。
ことばは生きものですから、意味が変わってくるということもあるでしょう。
明という形がつかわれるのはいつごろからでしょう。
それにしても、書体の変遷におもいを馳せるのはとてもたのしいですね。
わたしたちは数千年の中国のながれの中でことばをつかっているのですね。
xiyue :
今日、帰国します。
しばらく書き込めなくなるかも、と思い少しだけ失礼します。
先生の友人の篆刻家曰く、漢代以降「明」が使われだしたとか。(あくまでも参考までに)
手持ちで大陸の甲金篆隷大字典では、7(目+月):3(日+月)の割合で「明」が載っています。
すべては書けませんので代表的なもので金文の中山王鼎、隷書では劉熊碑が「明」でした。
kodo :
xiyueさん、とうとう帰国ですね。
お気をつけて。
いろいろほんとうにありがとうございます。
いま見てみましたら、劉熊碑は「隷篇」(宏業書局の隷書大字典)にも載っていました。この碑の字に「劉熊碑畏若神― 説文古文朙从日」とありました。日にしたがう、とありますね。
ちなみに眀「石門頌君徳―■ 六書正義云省朙為眀非従目也類篇目部別有眀字與此異」。
中華書局出版の「古文字類編」(高明編)には、丸に点となっているものが半分弱ほどありました。
やはり、表現者としては「それぞれ意味の違う漢字だけどどちらで書いても良い」というところに落ち着くのかもしれません。
間違い文字だという人もいるかもしれませんが(笑)
羲之も「目+月」と書いていることですし。
Now that I showed you what I've been through
Don't take nobody's word what you can do
-- John Lennon
ぼくが これまで どうやってきたかは
おしえられる けど
きみが これから どうするかは
自分で考えなきゃ
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