東晋 王羲之 奉橘帖(何如帖)
2005年2月19日 kodo | 個別ページ | コメント(7) | トラックバック(0)
王羲之は書聖といわれ、その書は古来手本として珍重されてきました。
そのため多くの模本が作られたのですが、
この奉橘帖(何如帖)も、搨も本のひとつです。

王羲之の書は、残されているもののほとんどは、手紙の書です。
この奉橘帖も、手紙です。実用の書であり、相手があったのです。
芸術を云々する以前のことであったわけです。
書に実用書と芸術書の区別はありません。
相手を思いながら、手紙を書くことは、
そのこと自体がとてもうつくしいことです。
相手のよろこぶ姿をおもいながら筆をもちたいものです。
xiyueさんの送る言葉に、「受け取る側が理解出来る言葉と文字で簡潔にまとめる」というくだりがありますが、相手に伝えたいことがある、伝えたいきもちがある、というのが大事なのだとおもいます。
「私はたとえ汚れてしまおうと、大事にしまっておかれるよりは飾ってほしいのです。」というxiyueさんのきもち。
澄翔さんの
「めでたいッ!おめでとーーーっ☆」というきもちで書かれた命名書、「喜んでもらえるとうれしいな。。。」というきもち。
うつくしいとおもいます。
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コメント(7)
觀山 :
天気が悪かったこともあり、全紙に練習してました。
一字一字がデカくなりすぎたため、問題外の出来となり、納得いかないので日曜に再挑戦します。
やれやれ・・・。
書の古典といわれるものは、芸術作品としてではなく、相手に何かを伝えるという実用的な目的で書かれていますね。
単に美しいからだけではなく、そこから書き手の感情が伝わってくるから、魅力があるし尊いのだと思います。
甲骨文ともなれば、神とのやりとりで使われていたわけで、一体そこにはどれほどの想いや願いがこめられていたのでしょうね。
xiyue :
ただいま戻ってまいりました。
たびたびのトラックバックありがとうございます。
短い期間での中国留学で得たものは想像以上に大きいもので、一言では伝え切れません。
私のつたない文章力で少しずつ、思い出しながら紹介してく予定ですので、これからもよろしくお願いします。
kodo :
●觀山さん
いつもコメントありがとう(^-^)
展覧会の書は、いったい誰に対して書いているのだろうとおもうことがあります。美術館に飾られた書はかわいそうです。一つの部屋にたくさん並べられては...。
●xiyueさん
お疲れさまでした。
xiyueさんの記事、
これからもたのしみにしています(^o^)/
景牙 :
リンク有難うございます! ブログだけじゃなくてHPのリンクまで貼って頂いて感激です。
当方の「書道関連ブログ・リンク集」にもこのブログのリンク貼らせていただきましたので、不都合な点ございましたらお知らせ下さい。
また、ちょくちょくお邪魔しますので、宜しくお願いします。
kodo :
●景牙さん
リンクをはっていただいて、恐縮です。
ありがとうございます。
これからもどうかよろしくお願いいたします。
澄翔 :
小学生の漢字を子供に教えるのは簡単なようで難しいですよね。
私も、子供に教えるときは、全て辞書を確認しています。
絶対自信がある書き順も間違って覚えていたり、ハネ・トメルなどは紛らわしく、いいかげんには教えられないので気をつけています。
私が小学生のとき、『学』という字の1~3角目の点の向きがちょっと違っただけで×にされ(ちょっとが大きな違いなのは今ならわかりますが)、子供だった私は100点を取れなくて先生を恨んだことがあります(笑)点の向きなんてどうでもいいじゃないか!と・・・(^^;)
そういうことがあると、いつまでも覚えていて二度と間違えることはないんですけどね。。。
kodo :
澄翔さん、いつもお世話になっています。
先日も書き取りの手本で、「天」という字を書きました。
上が長いんだよなぁ...とブツブツいいながら書くと、
やっぱり「上が長くないと×なんだよ」と突っ込まれました。
「下が長いほうがふつうなんだよ」とか「どっちでもいい」なんて、
これから漢字をおぼえようとしている子供には
うかつにはいえないですよね。
だいじなことをおしえてくれた先生に感謝しましょう。
(*^-^*)/~
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