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第23回蘭友書展に行って来ました。

2007年9月 6日 kodo | | コメント(0) | トラックバック(0)

蘭友書展の会期をランヨウさんのページで知りました。もし見に行けるとしたら初日だけでした。しかも初日がちょうど私の社中の錬成会の初日にあたっていて、11時には小川町まで行かないといけなかったため、とても駆け足の拝観になりました。

入口すぐに、王羲之の集字聖教序の拓本が飾ってあり、志の高さを感じるとともに、緊張が走ります。まくりのまま壁に張ってあったので、とても重厚感や立体感があります。裏打ちしても決して平板にはなりませんが、やはりまくりだと温かみが違うのです。私のように勉強する者にとっては、これはとてもありがたいことでした。

蘭友書展を拝観するのはこれで三度目でしょうか。いつものことながら、臨書の目指すところの高さと、作品の幅の広さにはドキモを抜かれます。

臨書を作品にするというと、たいていの展覧会作品は、自分流に臨書していて、素材を法帖にとっているだけ、というようなものが多いように感じますが、この「自分流」というのは決して臨書ではありません。

小野田先生は「形臨、意臨などという区別はない。虚心に法帖に向かうだけ」とおっしゃっていました。上っ面だけを舐めるのではなく、一糸違わず再現するつもりで臨みたいものです。

そうはいっても、自分が臨書を作品にするときには、「臨書をする」というより「作品をつくる」というほうに重きを置いてしまいがちなので、これは戒めになりました。

ならば臨書を展覧会に出すべきでない、というのも一理ありますが、臨書というのは、その法帖の何をつかんでいるか、ということだけではなく、その人の心の有りよう、意識のありか、書に対する姿勢、目指している処、その人の人間性まで、ストレートに現れてしまうという怖さがあります。

自運作品ならその人が現れるか、というと、意外とそうではなかったりするのです。

あらゆる伝統芸術には、型を「まねる」という基礎があります。その意味をとても考えさせられました。

ランヨウさんの会の方々の臨書は、法帖に学ぼうという姿勢がまっすぐなのです。

ランヨウさんの作品は気宇の大きさを感じますし、蘭堂先生の作品にもおおらかさを感じます。

すがすがしい気持ちになって会場を後にすることができました。おかげで私の錬成会も充実したものになりました。

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